マインドマップをはじめ様々な話題をとりあげた管理人の雑記

仙台の様子(4月17日・18日)01

2011年4月17日(日)仙台の実家に行ってきました。
私は、しばらく前から、旅行に行った際にはメモとしてマインドマップを作成するようにしていました。文章にしても良いのですが、マインドマップだと簡単に作成でき、見直してその時の様子を思い出すのも簡単です。(例えば上海旅行のマインドマップ

そこで今回は、普段は書かない実家のある仙台に行った際のマインドマップを作成してみました。

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※1クリックすると大きなウインドウで開きます。
※2 iMindMapファイルはこちら。iMindMap自体は、こちらからDLすれば無償版も使えます。


賑わいを取り戻している仙台市中心部


高速バスで仙台に入ったのですが、心なしか高速道路でも段差を感じる気がしました。
もしかすると地震の影響で壊れた箇所を補修していたのかもしれません。

バスは、東北自動車道を仙台宮城インターで降り、市内中心部に向かいます。
中心部も地震の被害やその後のライフラインの普及まである程度の時間はかかったようですが、人通りも多くすでに普段どおり賑わっている印象でした。
20110417仙台市中心部

仙台駅の東口で降車し、昼食をとるべく近くの牛タン屋さんに入ると14時が近いのにほぼ満席。店長さんに話を聞くと、3月11日の地震直後は、店内のお酒のビンなどがかなりの本数割れてしまいひどく匂いっていたとのことです、ただ、幸いガスも手に入ったっため14日には弁当の販売等の営業を再開できたそうです。
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友人の奥さんと子どもに車で迎えに来てもらっていたので、仙台駅の東側のロフトのあたりで待ち合わせ。人通りも多く、中学生の女の子なども普通にはしゃぎながら道を歩いていたり、道も車で混んでいました。ただ、コンビニに入ると雑誌など一部の商品は少ないようです。
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地元へ(仙台市宮城野区)

仙台市は5つの区に分かれています。そのうち宮城野区と若林区が海に面しています。

私の実家は、仙台市宮城野区の比較的海が近い場所にあります。
国道45号線を通って戻るのですが、道路もまだ陥没している箇所が多くありました。
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途中、津波の被害を受けた友人宅によりましたが、一階の半分ぐらいまで水に浸かり、家自体がズレてしまっているとのこと。

一方、そこから1kmも離れていない実家に戻ると、意外と地震の影響はなかった様子です。私が子供の頃に体験した宮城県沖地震の際には、台所の棚のガラスは全て割れ、コンクリートで固めた車庫はひび割れていました。それに対して今回の地震では、その時ほどの被害はなかったようです。これは地震の規模だけではなくそれなりの備えがあったことも理由だと思います。

夕方、友人の家族と若林区の焼肉屋さんへ食事にでかけました。
かなり予約でいっぱいになっているということで、早めにでかけました。店内では、品不足のため、メニューは毎日あるものだけをA4のコピー用紙に印刷して配布しているということでした。レジではなぜか、瓶入りのサイダーが178円で売られており、結構人気になっていました。
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沿岸部

多賀城

その日は、弟の家に泊めてもらい、翌朝4時半に起きて沿岸部を回ってみました。 多賀城のあたりは、家が浸水していたり、車が逆さまになっていたりでひどい有様でしたが、それでも自衛隊が道を通るようにしてくれたのでかなり整理されてきているとのことでした。

多賀城では、テレビで見るような市街地が戦場になった後のような光景が広がっていました。
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津波に襲われた当時、某大手スーパーのある交差点にあるパチンコ屋さんでは、屋上に非難した人たちが流されていく人々を何もできずに見てるしかなかったそうです。
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仙台港

仙台港に近づくと、叔父が仕事中に津波に流され、何時間も経ったあとに流木等をつたい、避難できたソニーの工場ビルも確認できました。このビル、形はしっかり残っているのですが、テレビで見てそこが、津波の際どんな様子だったのかは記憶に刻まれています。 20110418

はじめ、足元を浸す程度だった水が、振り返ると激しい水の流れになっている。これは、同じような経験した人の話だと、気づいたら後ろに「茶色い壁(津波)があった」と表現していたそうです。私も津波がそういうものであるという知識はなかったので、現場にいたら足元を流れる水を見ながら、「車に乗っていれば平気だろう」という気持ちでいたかもしれません。

仙台港のそばには、なぜか少なくとも形は原型をとどめている家も結構ありました。
建築会社の工法などの影響もあるそうで、話しによれば高気密住宅の場合、
床上1センチ程度しか浸水しなかったところもあるとか。
もちろん、そのまま住めるかどうかは別問題でしょうけれども。
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仙台港の工場のあたりはまさに爪あとのように様々な部分がえぐられた建物がたくさんありました。子供の頃からよくあそびにきていたフェリー乗り場は、とりあえず形は残っていました。
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トヨタの売り出す前のプリウスなどの新車もボロボロになってひとまとめにされていました。これも余談ですが、今回ガソリン不足が続く中、低燃費のプリウス等ハイブリット車かなり活躍していたそうです。その一方、被災状況のひどかった場所では、オフロード仕様のタイヤを履いていても、タイヤ表面が一日でボロボロになったということです。
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宮城野区蒲生地区

仙台港の南側、仙台の宮城野区に蒲生という地区があります。 (写真をとった場所の住所自体は「蒲生」ではないです。念の為)

海に近づくともともと何も無い場所だったのですが、近くには比較的古くからる住宅地がありました。海が近いので、子供の頃よく遊びに行った場所です。
また仕事で定期的にお伺いしていた会社もあった場所です。工業地域からも少しだけ距離があり、交通の便は悪いのですがのどかでお気に入りの場所でした。

そして、今回そこに着いた当初、家々があった場所だということに気づけませんでした。
弟に「分かる?ここ」と言われて、はっとしました。
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話には聞いていたのですが、町がなくなるというの状態が本当に目の前に広がっている。
正直これを書いている今も、昔見たあの町が、何も無くなっているということに現実感がないです。
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Googleマップの蒲生の辺りをクリックしてみてください。右上から「地図」にすると家々があった場所が分かります。これを「航空写真」に切り替えると、津波の後にあったはずの建物がなくなっています。

若林区荒浜

蒲生から南下した沿岸部、若林区荒浜の辺り。もともと田んぼが広がっていた地域なのですが、あったはずの家々も消えています。荒浜に行く際には、目印にしていたセブンイレブンがあったはずなのですが、それも消えてなくなっています。

「ここ、コンビニがあった場所」と言われても「覚えていない」と言ってしまいました。覚えていないというよりは、記憶の中にある場所であると認識することができなかったのだと思います。
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ああ、そうだ、あの辺りは、比較的あたらしい家が通り沿いに並んでいたはず。
けど、先日見た景色の中にはそれらが存在していなかった。今更ですが、コレを書いているたった今思い出しました。。

荒浜の浜辺にでると、花が沢山、並べて置かれていました。
津波に流され、亡くなった方のために誰かがおいて行ったのでしょう。
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戦場のような状態の歪んだ道から、仙台の中心部のビルがはっきり見えるのが印象的でした。
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Googleマップ若林区荒浜の辺りここも「地図」と「航空写真に切り替えてみてください。

同じような光景は、仙台市ととなりの名取市のところまで続きました。実際にはずっと南のほうまで続いているのでしょう。ただ、その日は、市の境目の閖上大橋は通行止めになっていました。
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この光景の中で、まだ見つかっていない人もいるのかと聞いたところ、ほぼ自衛隊などの活動でご遺体は回収されているだろうとのこと。

朝、このあたりに来ると瓦礫の一部にカラスが群れている場所があり、それで何処に遺体があるであろうことがわかったそうです。

一方、気仙沼の人に話しを聞く機会がありましたが、ヘドロが堆積しているような地域ではその上を歩くこともはばかられると言われていました。ヘドロに埋まって亡くなっている人も見つかっているので、と。

仙台東部道路

その後、仙台東部道路のあたりを周り戻ることにしました。津波はこのあたりまで押し寄せて来たそうで、一部はこの道路も越えていったようです。

20110418
この近辺にもあちこちに放置された車がありました。

それらの車には、窓に×印が付けられているものがありました。これは、引き取り手がいないことを示しているとのこと。理由は、車内に人がいてなくなっていたから。写真に撮るのは控えましたが、そういう車が沢山ありました。
20110418

コメント

震災後の治安は海外でも賞賛されていたとおりなのだと思います。

もちろん、一部では、家電良品店では、ものが持って行かれたり、ショッピングモールにはトラックが横付けして者を運び出している窃盗団がいたりしていたそうです。
また、避難の際渋滞しているため歩道を走り、家から逃げ出してくる人をはねていった車もいたとか。ここまでも、どこまでが真実わかりませんし、他にもここにかけないようなことも色々聞きました。

そして、それに対応するべく自警団等を組まれる人や、地域社会のために食料や衣服を用意したりという活動をしていた人たちもいます。

そんな活動をしていた人たちが、避難所に食料を持って行っても人数分に足りないので、「暴動が起きたらどうするのか?」と文句を言われたりすることもあったそうです。

それであれば、子どもやお年寄りに配るなどの工夫ができなかったのかと思うのですが、お前がいたら混乱を起こさずにうまく配分できたのか?と言われると正直わかりません。

この件に限らず、善意の行動が非難されたりといったことも多くあったでしょう。

この日の午後、ある友人と山形に行ったのですが、今は身の回りは殺伐とした感があると言っていました。彼は関西の大学を出ていることもあり全国に友人がいるそうなのですが、「つながり」を感じられたり、山形のように「日常」に近い場所があることが救いになると話していたのが印象的でした。

今回の震災において、一部混乱があるにせよ、私たちが誇るべき日本の文化の力を確認できたことは大きいことだと思います。

まだ前に向けない人も多いでしょうけれども、前にすすめる場所にいる人は復興に向けてす進ことも、被災地の人を勇気づけるすべになるかと思います。


※この記事中で紹介した写真をフルスクリーンのスライドショーでご覧いただけます。

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